
Interview
文化という価値を世界の共通言語にしていく
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
コモンズ投信株式会社 取締役会長
渋澤健さん
1961年逗子市生まれ。父の転勤で渡米。1983年テキサス大学化学工学部卒業。1987 年UCLA 大学にてMBA を取得。米系投資銀行で外債、国債、為替、株式およびデリバティブのマーケット業務に携わり、1996年に米大手ヘッジファンドに入社。2001年に独立し、シブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業、代表取締役に就任。2007 年にコモンズ株式会社を創設、2008年にコモンズ投信株式会社へ改名し、取締役会長に就任。 2021年にブランズウィック・グループのシニアアドバイザー、2022年ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)議長の特別顧問およIFVI(International Foundation for Valuing Impact)理事、2023 年に株式会社& Capital を創業、代表取締役CEO に就任。また最近では、Triple I for GH: Impact Investment Initiative for Global Health(グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ)の共同議長に就任し、インドのベンチャーキャピタルChiratae Ventures アジア・アドバイザリーボードのメンバーにも就任。 経済同友会幹事およびグローバルサウス・アフリカ委員会委員長、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」、金融庁、経済産業省等、政府系委員会の委員を務めており、UNDP(国連開発計画)SDG Impact Steering Group 委員、東京大学総長室アドバイザー、成蹊大学客員教授等。 著書に『渋沢栄一100 の訓言』(日経ビジネス人文庫)、『SDGs 投資~資産運用で社会貢献』(朝日新聞出版)、『渋沢栄一の折れない心をつくる33 の教え』(東京経済新報社)、『超約版 論語と算盤』(ウェッジ社)、『対訳 銀行員のための「論語と算盤」とSDGs』(きんざい)、他
(1)「新しい資本主義グランドデザイン改訂版2023」の解釈について。
成長と分配の好循環をどのように捉えるか。
−渋澤さんは「新しい資本主義実現会議」の有識者構成員として策定に参画されていますが、そのグランドデザインの観点から、ぜひお伺いしたいことがあります。「新しい資本主義」で明示している“成長と分配の好循環” による成長戦略という視点をどのように捉え解釈すればいいのか、渋澤さんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。“成長と分配の好循環”とは何か? 改めて認識することが、おそらく今後、京都市が都市のグランドデザインとしてビジョンを描き、産業政策、文化政策、都市政策を統合的に捉えていく上でも非常に大きな示唆となるのではないか?と考えております。
渋澤:新しい資本主義については政府との会合を約3年に渡り行ってきているわけですが、1〜2年目の話を中心に、さらに3年目でも話されている内容についてここでは少しお伝えをします。
まず、 “成長と分配の好循環” というキーワードが政府から示されました。成長と分配による好循環そのものは経済や資本主義の世界では当たり前なことですので言葉自体に新しさはない。国全体、地域単位で見ても、基本的に東京や一部のエリアは例外として人口は減少していくわけで、そのためにも好循環が必要であるという考え方から発想されている。
ただし、それだけだと “新しい” というラベリングにおいては物足りなかったですし、事務局側から上がってくる当初のアジェンダは国内目線でしかなかった。そこで、私が盛んに指摘させていただいたのは、好循環を生み出すための世界に向けたグローバル展開こそが重要であるという視点です。世界に分配することは、つまり日本から世界へ支援金としてばら撒くのではなく、消費や投資のお金として “日本から世界へ分配される” ことで世界の成長を促し、結果的に日本に還元されるという循環ですね。そうであるならば、人口が減っても世界の成長を呼び込むことができる。そういう循環はこれからの新しい日本に重要であり、不可欠であると私自身は思っているわけです。
2年目の政府との会合からは、岸田総理自ら「グローバルサウス」を謳われるようになりました。グローバルサウスとは、アフリカ、インド、一部のアジア、南米などの新興国・途上国・第三世界を示すものです。これらの地域を対象とした医療サービスやヘルスケアにアクセスを促す「グローバルヘルス」に対するアクセスを増やすムーブメントを起こし、課題解決と同時に利益を促す投資「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ」*として表現すべきではないかということで協議がなされ、この視点が新しい資本主義のグランドデザインで表現されています。この方針が広島サミットで承認されて、現在は日本発でイニシアティブが動き始めている。これが、国、世界レベルでの話になります。
*「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ(Impact Investment Initiative for Global Health: Triple I for Global Health):トリプル・I」の立ち上げについて(首相官邸ホームページより) https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/global_health/evevt/index.html
また、実は労働の有り方等、かなり重要なことを新しい資本主義のグランドデザインに反映し表現しています。発表されている方針策定に関する「行間」をしっかり読むと、昭和時代の成功体験は終わっていますということが書かれているわけです。これに加え、スタートアップ支援など銀行の融資が担保でしか測られていなかった視点から事業性から判断をして投融資する動きを醸成させる点へ移行するなど、非常に大切なことが色々表現されていると私自身は思っています。
さらに、3年目の初めからは、文化、アニメ、音楽などのコンテンツの海外展開について議論が始まりました。つまり、成長と分配については、医療とかいわゆる課題解決領域だけではなく、この京都市のプロジェクトでも議論されている文化というポジティブな価値を世界に展開していくという話がまさに政府側でも始まっていたところです。
−文化を本プロジェクトではどう捉えるのか? この点について、Round Table Discussion_1「都市と、創造性の循環」においても議論があったわけですが、主に、文化の捉え方には2つあると思っています。近現代においては、アートや文化もアウトプットそのものがいわば “商品的に” 切り出されていると捉えており、それ自体が投資対象と見なされることが多かったように思います。一方で、伝統的な社会において、特に、京都のような地域においては、厚みのある時間の積み重ねによって文化が構築されている。つまり文化そのものを地域社会とは切り離すこと自体が難しい。“人間の営み” による要素が大きいものであると捉えています。
渋澤さんからもRound Table Discussion_1においてお話をいただいたように「産業も文化として捉える」ということであれば、経済領域においても、文化資本、企業文化として自社の事業と切り離すのではなく、一体のものとして捉えることもできるのではないかと思います。社会、都市の中の人々の営み、歴史、風土とも紐づけた文化をポジティブな価値として対外的に、マーケットに対しても伝えていくことができないかだろうかと、現在、京都の大手企業各社の方々とも議論をしている状況です。
渋澤:文化はアウトプットに着眼されるのが一般的だと思います。アニメ、食、どのような分野であろうが、アウトプットとしては見えている。では、アウトプットだけが文化なのか? というとそうではなく、ある意味「見えない」領域があるということですよね。かつ一人では文化は成立しない。そして、文化は一定の時間の中で生じるものではなく、長い年月をかけて流れているものだと思うんですね。あるんだけど、見えていない。
では、先ほどお話にあった企業側にとっての文化資本とは何か。資本とは、価値をつくるために必要な “インプット” です。つまり、文化の価値創造の成果はアウトプットであると捉えることができる一方、文化資本は、文化という価値をつくるインプットです。また文化というインプットがあるだけで価値のアウトプットできるのではなく、財務的な資本も必要です。文化は誰かがスポンサーがいてお金を提供してくれたから価値創造として可視化できています。それも、継続的に。人的資本がこのインプットとアウトプットを合わせる役割を担うのですが、両者を合わせることで価値が生まれているわけです。人的資本、つまり、合わせること自体やその役割を誰かが執行しなければならないわけです。
そういう意味では、文化資本、財務資本、人的資本の三つによって価値が生まれている。ご質問でいえば、文化資本でいうところの資本とは価値創造のためのインプット資本と言えるのかもしれませんし、価値創造の成果としてアウトプットできているものであれば可視化されているとも言える。企業の場合も、価値が全てが可視化されている価値ではなく、非財務的価値、無形資産や知見などの価値もある。そのような価値は売上のようにパッと可視化できる領域ではないですからね。
(2)成長と分配の好循環による成長戦略を都市の中では、
どのように実現していくことが望ましいか?
−ESG/Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス(企業統治))のうち、EとSという「外部不経済」と呼ばれるものを排除して考えるのではなく、資本主義にインクルーシブに取り込んでいくこと、また、経済価値にそれらを結びつけて考えていくことの重要性が今後より一層増してくるのだと思います。一方、国や企業だけではなく、京都のような都市、地方においても持続可能な成長や繁栄をしていくためには、「外部不経済」の観点を産業政策にインクルーシブに取り入れていくことで、京都に本社機能を置く企業との連携を生み出していけるのではないか。企業もまた、その取り組みをマーケットに対して価値として明示することができるのではないか。つまり、<三方よし>の仕組みを、グローバルマーケットに対しても価値として伝えることができるのではないか? と考えているのですが、是非ともアドバイスをいただけないでしょうか。
渋澤:ESGとは実は機関投資家向けに作られたものなので、非財務的な情報開示を企業に求めるという構造の下で成り立っています。そういう意味で、ガバナンスとは企業は責任を果たしているという実態を機関投資家が要求している確認です。一般的には株主の視点を反映する株主資本のガバナンスだけではなく、デッドガバナンスという金融機関が借りての企業経営への企業統治を効かせるガバナンスもあります。ただ、実は企業にとっての最も大きなガバナンスの担い手は消費者ではないでしょうか。会社の商品が魅力を失うと売上が立たないので、広い意味においてガバナンスは消費者責任を果たしていることを示しています。
都市においても、そこに暮らしている市民への責任があり、民主主義のプロセスの中で決まっていく。区議長、議会、行政が意思決定していく。行政はガバナンスを執行している側になると思うのですが、最終的に自分たちのメリットだけではなく、当然市民のためにということですよね。
金融の世界では、それを“フィデューシャリー・デューティー”*というのですが、都市においても当然あるはずです。都市が作っている価値とは、市民にとって豊かな安全な生活だと思うんですが、その中では、都市運営の効率を高めることは市民のためになる反面、法律性だけを追求すると環境破壊の抑制の側面が強調されたり、効率性の追求により面白みのない街になってしまう傾向がある。全ての街を効率的にすればそこには生活の魅力がない、楽しみのない街になってしまいます。効率性という言葉は重要な反面、効率性だけでは価値は生まれないと言えるのではないでしょうか。
*フィデューシャリー・デューティー:「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者が負っている幅広いさまざまな役割・責任の総称」と金融庁<金融モニタリング方針(2014年)>として定義している。「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」として、金融機関の監督・検査の際に重視していく方針のことを示す。
−ここでの効率性という話は、AIなどのデジタル技術を駆使した、いわゆるスマートシティ構想の発想に近いことでしょうか。例えば、CO2の排出をゼロにするためにはという課題に対して、デジタル技術による解決を優先させてしまうあまり、最も重要な豊かな暮らしを生み出すはずの人間による創造性を欠いた都市の構想になってしまうという。
渋澤:何を持ってスマートと言うかという話もあるわけですが、CO2、カーボンゼロの街ですと言うとそれは素晴らしい街ができるのかもしれませんが、全く生活感のないような空間で都市として良いのですかねと言う観点もあるでしょう。
−Round Table Discussion_1でも「三方よし」について議論をさせていただいたわけですが、京都という都市においても「外部不経済」と言われてしまう観点をあえて産業政策の中にインクルーシブに取り入れること。そういった観点も、一つのものとして統合していくことを仮説的に考えることについて議論を進めることが重要だと思っています。そのような観点から、京都の大手企業各社とのあらゆる連携を都市としても生み出していくことはできないかと企業サイドとも議論を展開しています。企業と行政が共に課題を解決したり、また同時に、新たな都市の価値を生み出していくことをグローバルマーケット側に明示する一つの軸としては、いわゆる「三方よし」の仕組みそのものを価値として明示できないか、その可能性についても考えてみたいのですが、渋澤さんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。
渋澤:「外部不経済」の話に、ここで少し戻りますね。そもそもが、企業側から見て「外部不経済」と判断して使っている言葉なんですね。なぜ、経済領域において、「E」と「S」が取り残されたのか? 企業の責任が株式の利益、売上だけであれば、「E」と「S」は企業が考えるものではなく、それは本来政府が考えるものだよねと。それを一旦傍に置いておきますという判断から「外部不経済」と見なされた結果であるわけです。政府や公益セクターの役割があるものの、実際に出来ることに限界があります。
一方、企業が経済活動を推し進めることにより、どんどんCO2を排出する、社会の格差を生むとなると、結果的に、自分の会社のためにならず、売上、利益の面においても、株主のためにもならないという思考の繋がりができてくる。だから、ESGが大切だよねという大義が成り立つわけです。 一方で、「外部不経済」そのものを価値であると捉え直す宇沢弘文氏のように、社会的共通資本の話からは、利益の追求の対象としてはならないものもあるよねという話になり、先生が仰っている「コモンズ」の概念に行き着きます。コモンズは所有者は無いけれども、みんなが使えるもの。だけど、日本のケースでは、いわゆる主体性のあるオーナーシップとは異なる気がしています。日本人の感覚では、自分、会社を意味する「私益」と比べた「公益」は別であると捉えられている。しかし例えばアメリカの場合は国家設立理念に、パブリックは、みんなの責任であり、みんなのための責任という主体性として捉えられている。日本では、公益は行政、政府の仕事でしょとなってしまいます。自分のことはちゃんとやるけど、公益は自分たちの責任ではないから、政府でやってくれという思考的ギャップが本質的にあるんじゃないでしょうか。
このプロジェクトにおける重要な議論は、企業も「外部不経済」と言われてきた、みんなが使っているコモンズにも責任を持ってやらないとならないよねということですよね? みんなが使っているからこそ、オーナーシップ、責任があるという概念があるよねと。例えば、みんなが使っている空気に対して、みんなのものだから綺麗にしましょうみたいな概念が入ってくる。
−「外部不経済」と言われてしまうことに対して、今、企業側も社会的責任と持続的発展の両立を目指すべきだという機運が世界経済においても醸成されるなかで、日本企業も主体的に変わらないとならない流れがあると捉えています。既にそのような取り組みをしている企業も多々あると思います。 今回は、京都市と企業が外部不経済というところを「コモンズ」として、市民と共に取り組んでいくこと。企業にとっては、成長の動きだけではなく「公益」について行政、市民と共に考えていくのかとても重要なのではないかと考えています。これらを総称すると「三方よし」という表現がいいのかもしれませんが。企業がこのような取り組みをすることによって、グローバルマーケット側からの評価を受けられるようになれば、『公共私による価値の創造』という動きが京都という都市の中にもっと生まれてくるのではないか、市民・行政・企業の連携が生まれてくる可能性をより多様に見出せないかという議論を進めています。
渋澤:「三方よし」は商人からみた言葉、考え方であって、売り手から見た、買い手よし、世間よしという話になってしまいますね。官民連携PPP(Public Private Partnership)はいろんな取り組みが昔から色々ありますが、うまく進まないことも結構あります。それには官と民の『共通言語』が欠けているからではないでしょうか。企業が何か取り組む時には企業として何かメリットがある。メリットで一番わかりやすいのは、売上、利益です。目の前だけではなく将来の売上利益かもしれませんがメリットがあり、そういう考え方で取り組むわけです。
一方、政府の視点だと、予算を組む時には、「よいしょ」という意気込みが入り、予算を確保していただくが、確保されたあとは期限内に使い切って事業がうまく回ることを前提にしていると思うんですね。一つは「使い切る」ことであって、使い過ぎてもいけないし、ピッタリ収支が一致して使い切ること自体が良しとされている世界です。そうしなければ、翌年度の予算がもらえなくなるので使い切る。
民間側の企業活動とは、お金が残るように限りある中で最小限のコストを掛けて、きちんと価値をアウトプットすること。前提として、お金の考え方、予算の考え方そのものに、民と官の間に“ズレ”が生じます。政府側も一概に会計上の単年度予算だけで判断しているわけではないことは理解していますが、これが日常の実態だと思います。民は連携を組むことでより利益が上がればいいことですが、政府側からは利益がそんなに上がってしまうと困るということもある。そんなに利益が上がるなら民間側だけでやればよかったと、官は必要なかったとなるという思考展開です。一方、あまり儲からなくても良いというプロジェクトには民が入りづらいですし、儲からないのであればなるべく費用をかけない、手を抜くというという動機付けになります。
ですから、「インパクト」という共通言語の存在が官民連携に重要だと思います。課題解決を意図しているスタートアップへの新たな資金が流れることを促すために2008年に米ロックフェラー財団が造語したのが「インパクト投資」です。政府も民間でも「インパクト」という課題解決の共通言語の存在があれば、官民連携の運び方や成果にもっと期待できるのではないでしょうか。地域企業と連携して、地元の税金として戻ってくる。そこまでのまさに「成長と分配の好循環」が見えるのであれば、良いかもしれません。
−渋澤さんが仰ったことは、先日企業側からも同様の質問が行政側へあり、企業から見ると行政の取り組みがすぐ終わってしまう印象があると。そこには、両者の時間軸や前提の捉え方の違いがあるかもしれませんね。
渋澤:PPPのような取り組みに役割がないわけではなく、例えば民間だけだったらリスクが高すぎるので難しい判断になる場合に官が入り、最初に生じる損失を官の予算で負担しますという組み合わせが実現できれば様々プロジェクトの可能性が広まるでしょうね。インパクト投資の世界では、ファーストロス、コンセッション・ファイナンス、あるいは、カタリティック(触媒的)キャピタル*等、色々な言い方があります。要は民間だけだと儲からない場合は官がまずリスク負担しますという関係性です。損出/損益は言葉としては官はいただけないかもしれませんが、社会における課題解決の予算として使うということが前提になっているのであれば、プロジェクト運営費として整理して、双方がウィンウィンになります。ただ、気をつけてやらないと、A社にはやっているけどB社にはやっていないという不平等であると言われたり、なんでその業界だけなんだとか、文化にはやってくれるけど、食にはやってくれないだということが起こりそうなのです。重要なことは前例が無いことを恐れず、実行して突っぱねるリーダーシップです。
*Catalytic Capital:インパクトを生み出すために企業に譲歩的な条件で資金を提供し、他の方法では不可能な第三者からの追加投資を可能にする触媒的資本
−ファイナンスの領域では、民間と行政がもう少し長期的な目線で公益を捉え、財務的価値、非財務的価値も生み出していく考え方があるということですね。結果、企業側の収益性が高まることで税収も上がって、いいスパイラルが生まれれば価値にも繋がっていくことであると。
渋澤:そうですね。“パブリックセクター”として政府が取り組み、ある一定の領域内の活動が増えることでそこで税収入が増える、活動の中で売上があがる。一方で、経済の文脈だけで考えると「外部不経済」を無視することが利益向上へつながり、税収入が増加する可能性があるかもしれません。それでは結果的に、「E」も「S」も税金を財源としなければ支えないといけないというスパイラルに陥るか、現状の日本では未来世代から借金をして、未来の成長を前借りしている状況にあるということを忘れてはならないですよね。
−例えば、先日の議論でも滋賀県庁 琵琶湖保全・再生に関する政策の御担当者にお越しいただき、琵琶湖の改善を軸に民官の連携を時間を掛けてやってきた事例をお話いただきました。市民、企業、行政が10年以上の時間を丁寧に掛けながら共に独自の指標を作ったり、琵琶湖の改善等にあたっています。そのように連携がうまく行っているような地域も既に出てきているようです。また、今すぐの成果、評価ではないということも、琵琶湖保全のケースにおいても大事なポイントだったと理解しています。
(3)企業文化という価値をどのように市場に伝えるか?
−企業の「見えない価値(非財務の価値)」のうち、この都市、地域の文化や歴史や風土があるからこそ、この企業が生まれた、それらがコアコンピタンスとしての独自の価値にもなっている、だからこそこのような創造性の高い人財が育っている、企業としても繁栄してきたということを「企業文化」という価値としてマーケットに対して伝えていくことは、現状のマーケットにおいて、投資家にとってどの程度 “価値” だと捉えられるのでしょうか。つまり、企業の文化と都市の文化、今回で言うと、京都の文化と京都の産業としての文化が根底では非常につながっているのではないかと考えています。このような考えをマーケット側に伝えたときのインパクトや共感をどの程度得ることができるのか、ぜひ渋澤さんの見解をお聞かせください。
渋澤:例えば、福岡とか神戸とか横浜になどに存在している上場の企業の総売上額を人口で割った時には、感覚的には東京よりも京都は高い気がするんですよね。どうなんでしょう。今度、調べてみてください。京都には地方都市で人口はそれほど多くないのに、多くのグローバル競争力ある企業をつくれた土壌があることは価値として言えそうですよね。
それから、もしかしたら、企業側とも議論を深めた方が良さそうですね。以前、京都のとある企業の方からお聞きしたお話ですが、大阪の企業と京都の企業は違うと。大阪は東京に本社機能を持っていってしまうという発言があり、これは、なぜなんだろうと。この点が重要ですよね。大阪の企業は東京に本社を移し、京都企業はそのケースがなぜないのか? そこには、おそらく京都の文化があるからという話につながる。京都企業は京都に愛着があるから、絶対にここから離れないということなのか。そういう議論をすることに意味があるんではないかと思います。
京都市総合企画局森岡環さん(以下、森岡):一つ、渋澤さんに伺いたいのですが。Round Table Discussion_1の議論でも出ていましたが、SDGsは課題でしかなく、文化はポジティブなものと広井先生からお話があったと思います。改めて、「外部不経済」の話については、企業活動の中にどのように内在化をしていくのかという話であり、例えば、企業がマーケットに提示する統合報告書において活動として取り組んでいることを明示し訴求することだと理解することが本インタビューを通じて、改めて理解することができました。そのような意味からしますと、今回のプロジェクトにおける文化の話は「外部不経済」のケースとは違うのではないか? と。
文化は過去から持続的に供給されているものでもあり、特定の企業にしか帰属しない知的財産とは違って共有されている。環境問題や社会課題に対する解決は、今後、企業経営の中の議論やマーケット側での評価が進んでくるものと思いますが、一方で、文化という価値創造に対する企業のアプローチが市場での評価対象になりうるのか。文化は、そもそもが、マイナスを0にするのではなく、0→1という「正の外部効果」として捉えるものだとすれば、それを評価するには、環境問題等とは全然違う観点が必要なのか。あるいは、分けて考える必要もないのか。その辺りの示唆をいただきたいのですが。
渋澤:「外部不経済」は経済活動を主体としている企業側から見た概念だと思うんですね。それを京都市の場合は、「外部不経済」ではなく、環境課題、社会課題と言ってもいいと思う。解決するのに予算化するのかという話があると思います。
森岡:例えば、京都の地域の企業が文化に取り組む、そういった企業が市場でも評価されるようになることで、社会の文化振興や文化創造の流れに繋がっていくのではないかと。企業側にとっては、それは企業の評価につながる非財務的な情報として明示することができるのではないかという観点からお聞きしたいのですが。
渋澤:そのような意味では、それを評価する株主が必要、投資家が必要になりますね。地元の文化のために文化活動を支援していることに対して、そこに暮らす市民が会社の株主ならいいけど、それならポジティブな好循環になると思います。でも、現実的には、企業の所有者は京都企業とはいえど、京都に暮らしているわけではない人もたくさんいる。投資家も同様です。基本的に株主は自分たちのため、株主のために頑張ってよと言いがちです。そういう株主に対して企業は答えないとならない。
でも、やはり、企業が法人格として主体性を持たないとダメですね。「こころ」が冷たい株主がいても、それに対して、京都企業だからと言えるか。言えないか。そこが重要になってくると思います。
森岡:今のようなお話ですと、今後は、企業側、市場側への両面へアプローチをしていかないと、着地点が見つからないのかもしれない。
渋澤:非常に面白い問いですね。例えば、地域ということであれば地元の信用金庫もいらっしゃいますが、現在の企業経営には、株主資本があることが大きい。地銀が貸し出ししているケースも多いのかもしれないが、株主は京都だけではないということが前提としてある。それをどのように京都に暮らしていない株主にどう理解してもらうのか? 企業は言い続けるしかないですね。我々の存在、価値創造のために大切な活動なんですと。言い切るしかないと思います。
−自社の存在意義に結びつけながら、企業が主体性を持って伝えるのであれば、それを評価する株主もいるのではないかということでしょうか。
渋澤:そういう株主もいると思いますし、一方で、我々が株主であり、したがって我々の会社なんだと主張する株主も多い。だからこそ、企業側は主体性を持って、こういう会社なんですと自ら伝え続けることに意義があるということですね。
−マーケットから評価を受けなくてはという受け身である必要はなく、つまりは、企業は自らの意思を法人格という主体性を持って「私はこうである」と示すことが、グローバルマーケットにおいても重要であるということ。また、都市においても、「私たちは文化を起点とした創造的都市を目指していく」という明確な意思、ビジョンを示しながら、同時に、マーケット側との新たな価値創造の起点となる “インターフェース” を構築していくことが、京都の新たな可能性を生み出していくかもしれませんね。本日は大変ありがとうございました。
京都市の「カルチャープレナーの創造活動促進事業」*にて採択され実施したプロジェクトの活動報告レポートより抜粋。本レポートは、京都市が目指す「文化と経済の好循環を創出する都市」をテーマに都市構造を読み解き、京都という都市が持続的に発展し続けるための構想を提案しています。
*令和5年度カルチャープレナーの創造活動促進事業〜カルチャープレナー等の交流・コミュニティ創出
Interview

文化という価値を世界の共通言語にしていく
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
コモンズ投信株式会社 取締役会長
渋澤健さん
1961年逗子市生まれ。父の転勤で渡米。1983年テキサス大学化学工学部卒業。1987 年UCLA 大学にてMBA を取得。米系投資銀行で外債、国債、為替、株式およびデリバティブのマーケット業務に携わり、1996年に米大手ヘッジファンドに入社。2001年に独立し、シブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業、代表取締役に就任。2007 年にコモンズ株式会社を創設、2008年にコモンズ投信株式会社へ改名し、取締役会長に就任。 2021年にブランズウィック・グループのシニアアドバイザー、2022年ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)議長の特別顧問およIFVI(International Foundation for Valuing Impact)理事、2023 年に株式会社& Capital を創業、代表取締役CEO に就任。また最近では、Triple I for GH: Impact Investment Initiative for Global Health(グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ)の共同議長に就任し、インドのベンチャーキャピタルChiratae Ventures アジア・アドバイザリーボードのメンバーにも就任。 経済同友会幹事およびグローバルサウス・アフリカ委員会委員長、岸田政権の「新しい資本主義実現会議」、金融庁、経済産業省等、政府系委員会の委員を務めており、UNDP(国連開発計画)SDG Impact Steering Group 委員、東京大学総長室アドバイザー、成蹊大学客員教授等。 著書に『渋沢栄一100 の訓言』(日経ビジネス人文庫)、『SDGs 投資~資産運用で社会貢献』(朝日新聞出版)、『渋沢栄一の折れない心をつくる33 の教え』(東京経済新報社)、『超約版 論語と算盤』(ウェッジ社)、『対訳 銀行員のための「論語と算盤」とSDGs』(きんざい)、他
(1)「新しい資本主義グランドデザイン改訂版2023」の解釈について。
成長と分配の好循環をどのように捉えるか。
−渋澤さんは「新しい資本主義実現会議」の有識者構成員として策定に参画されていますが、そのグランドデザインの観点から、ぜひお伺いしたいことがあります。「新しい資本主義」で明示している“成長と分配の好循環” による成長戦略という視点をどのように捉え解釈すればいいのか、渋澤さんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。“成長と分配の好循環”とは何か? 改めて認識することが、おそらく今後、京都市が都市のグランドデザインとしてビジョンを描き、産業政策、文化政策、都市政策を統合的に捉えていく上でも非常に大きな示唆となるのではないか?と考えております。
渋澤:新しい資本主義については政府との会合を約3年に渡り行ってきているわけですが、1〜2年目の話を中心に、さらに3年目でも話されている内容についてここでは少しお伝えをします。
まず、 “成長と分配の好循環” というキーワードが政府から示されました。成長と分配による好循環そのものは経済や資本主義の世界では当たり前なことですので言葉自体に新しさはない。国全体、地域単位で見ても、基本的に東京や一部のエリアは例外として人口は減少していくわけで、そのためにも好循環が必要であるという考え方から発想されている。
ただし、それだけだと “新しい” というラベリングにおいては物足りなかったですし、事務局側から上がってくる当初のアジェンダは国内目線でしかなかった。そこで、私が盛んに指摘させていただいたのは、好循環を生み出すための世界に向けたグローバル展開こそが重要であるという視点です。世界に分配することは、つまり日本から世界へ支援金としてばら撒くのではなく、消費や投資のお金として “日本から世界へ分配される” ことで世界の成長を促し、結果的に日本に還元されるという循環ですね。そうであるならば、人口が減っても世界の成長を呼び込むことができる。そういう循環はこれからの新しい日本に重要であり、不可欠であると私自身は思っているわけです。
2年目の政府との会合からは、岸田総理自ら「グローバルサウス」を謳われるようになりました。グローバルサウスとは、アフリカ、インド、一部のアジア、南米などの新興国・途上国・第三世界を示すものです。これらの地域を対象とした医療サービスやヘルスケアにアクセスを促す「グローバルヘルス」に対するアクセスを増やすムーブメントを起こし、課題解決と同時に利益を促す投資「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ」*として表現すべきではないかということで協議がなされ、この視点が新しい資本主義のグランドデザインで表現されています。この方針が広島サミットで承認されて、現在は日本発でイニシアティブが動き始めている。これが、国、世界レベルでの話になります。
*「グローバルヘルスのためのインパクト投資イニシアティブ(Impact Investment Initiative for Global Health: Triple I for Global Health):トリプル・I」の立ち上げについて(首相官邸ホームページより) https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/global_health/evevt/index.html
また、実は労働の有り方等、かなり重要なことを新しい資本主義のグランドデザインに反映し表現しています。発表されている方針策定に関する「行間」をしっかり読むと、昭和時代の成功体験は終わっていますということが書かれているわけです。これに加え、スタートアップ支援など銀行の融資が担保でしか測られていなかった視点から事業性から判断をして投融資する動きを醸成させる点へ移行するなど、非常に大切なことが色々表現されていると私自身は思っています。
さらに、3年目の初めからは、文化、アニメ、音楽などのコンテンツの海外展開について議論が始まりました。つまり、成長と分配については、医療とかいわゆる課題解決領域だけではなく、この京都市のプロジェクトでも議論されている文化というポジティブな価値を世界に展開していくという話がまさに政府側でも始まっていたところです。
−文化を本プロジェクトではどう捉えるのか? この点について、Round Table Discussion_1「都市と、創造性の循環」においても議論があったわけですが、主に、文化の捉え方には2つあると思っています。近現代においては、アートや文化もアウトプットそのものがいわば “商品的に” 切り出されていると捉えており、それ自体が投資対象と見なされることが多かったように思います。一方で、伝統的な社会において、特に、京都のような地域においては、厚みのある時間の積み重ねによって文化が構築されている。つまり文化そのものを地域社会とは切り離すこと自体が難しい。“人間の営み” による要素が大きいものであると捉えています。
渋澤さんからもRound Table Discussion_1においてお話をいただいたように「産業も文化として捉える」ということであれば、経済領域においても、文化資本、企業文化として自社の事業と切り離すのではなく、一体のものとして捉えることもできるのではないかと思います。社会、都市の中の人々の営み、歴史、風土とも紐づけた文化をポジティブな価値として対外的に、マーケットに対しても伝えていくことができないかだろうかと、現在、京都の大手企業各社の方々とも議論をしている状況です。
渋澤:文化はアウトプットに着眼されるのが一般的だと思います。アニメ、食、どのような分野であろうが、アウトプットとしては見えている。では、アウトプットだけが文化なのか? というとそうではなく、ある意味「見えない」領域があるということですよね。かつ一人では文化は成立しない。そして、文化は一定の時間の中で生じるものではなく、長い年月をかけて流れているものだと思うんですね。あるんだけど、見えていない。
では、先ほどお話にあった企業側にとっての文化資本とは何か。資本とは、価値をつくるために必要な “インプット” です。つまり、文化の価値創造の成果はアウトプットであると捉えることができる一方、文化資本は、文化という価値をつくるインプットです。また文化というインプットがあるだけで価値のアウトプットできるのではなく、財務的な資本も必要です。文化は誰かがスポンサーがいてお金を提供してくれたから価値創造として可視化できています。それも、継続的に。人的資本がこのインプットとアウトプットを合わせる役割を担うのですが、両者を合わせることで価値が生まれているわけです。人的資本、つまり、合わせること自体やその役割を誰かが執行しなければならないわけです。
そういう意味では、文化資本、財務資本、人的資本の三つによって価値が生まれている。ご質問でいえば、文化資本でいうところの資本とは価値創造のためのインプット資本と言えるのかもしれませんし、価値創造の成果としてアウトプットできているものであれば可視化されているとも言える。企業の場合も、価値が全てが可視化されている価値ではなく、非財務的価値、無形資産や知見などの価値もある。そのような価値は売上のようにパッと可視化できる領域ではないですからね。
(2)成長と分配の好循環による成長戦略を都市の中では、
どのように実現していくことが望ましいか?
−ESG/Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス(企業統治))のうち、EとSという「外部不経済」と呼ばれるものを排除して考えるのではなく、資本主義にインクルーシブに取り込んでいくこと、また、経済価値にそれらを結びつけて考えていくことの重要性が今後より一層増してくるのだと思います。一方、国や企業だけではなく、京都のような都市、地方においても持続可能な成長や繁栄をしていくためには、「外部不経済」の観点を産業政策にインクルーシブに取り入れていくことで、京都に本社機能を置く企業との連携を生み出していけるのではないか。企業もまた、その取り組みをマーケットに対して価値として明示することができるのではないか。つまり、<三方よし>の仕組みを、グローバルマーケットに対しても価値として伝えることができるのではないか? と考えているのですが、是非ともアドバイスをいただけないでしょうか。
渋澤:ESGとは実は機関投資家向けに作られたものなので、非財務的な情報開示を企業に求めるという構造の下で成り立っています。そういう意味で、ガバナンスとは企業は責任を果たしているという実態を機関投資家が要求している確認です。一般的には株主の視点を反映する株主資本のガバナンスだけではなく、デッドガバナンスという金融機関が借りての企業経営への企業統治を効かせるガバナンスもあります。ただ、実は企業にとっての最も大きなガバナンスの担い手は消費者ではないでしょうか。会社の商品が魅力を失うと売上が立たないので、広い意味においてガバナンスは消費者責任を果たしていることを示しています。
都市においても、そこに暮らしている市民への責任があり、民主主義のプロセスの中で決まっていく。区議長、議会、行政が意思決定していく。行政はガバナンスを執行している側になると思うのですが、最終的に自分たちのメリットだけではなく、当然市民のためにということですよね。
金融の世界では、それを“フィデューシャリー・デューティー”*というのですが、都市においても当然あるはずです。都市が作っている価値とは、市民にとって豊かな安全な生活だと思うんですが、その中では、都市運営の効率を高めることは市民のためになる反面、法律性だけを追求すると環境破壊の抑制の側面が強調されたり、効率性の追求により面白みのない街になってしまう傾向がある。全ての街を効率的にすればそこには生活の魅力がない、楽しみのない街になってしまいます。効率性という言葉は重要な反面、効率性だけでは価値は生まれないと言えるのではないでしょうか。
*フィデューシャリー・デューティー:「他者の信認を得て、一定の任務を遂行すべき者が負っている幅広いさまざまな役割・責任の総称」と金融庁<金融モニタリング方針(2014年)>として定義している。「商品開発、販売、運用、資産管理それぞれに携わる金融機関がその役割・責任(フィデューシャリー・デューティー)を実際に果たすことが求められる」として、金融機関の監督・検査の際に重視していく方針のことを示す。
−ここでの効率性という話は、AIなどのデジタル技術を駆使した、いわゆるスマートシティ構想の発想に近いことでしょうか。例えば、CO2の排出をゼロにするためにはという課題に対して、デジタル技術による解決を優先させてしまうあまり、最も重要な豊かな暮らしを生み出すはずの人間による創造性を欠いた都市の構想になってしまうという。
渋澤:何を持ってスマートと言うかという話もあるわけですが、CO2、カーボンゼロの街ですと言うとそれは素晴らしい街ができるのかもしれませんが、全く生活感のないような空間で都市として良いのですかねと言う観点もあるでしょう。
−Round Table Discussion_1でも「三方よし」について議論をさせていただいたわけですが、京都という都市においても「外部不経済」と言われてしまう観点をあえて産業政策の中にインクルーシブに取り入れること。そういった観点も、一つのものとして統合していくことを仮説的に考えることについて議論を進めることが重要だと思っています。そのような観点から、京都の大手企業各社とのあらゆる連携を都市としても生み出していくことはできないかと企業サイドとも議論を展開しています。企業と行政が共に課題を解決したり、また同時に、新たな都市の価値を生み出していくことをグローバルマーケット側に明示する一つの軸としては、いわゆる「三方よし」の仕組みそのものを価値として明示できないか、その可能性についても考えてみたいのですが、渋澤さんのお考えをお聞かせいただけないでしょうか。
渋澤:「外部不経済」の話に、ここで少し戻りますね。そもそもが、企業側から見て「外部不経済」と判断して使っている言葉なんですね。なぜ、経済領域において、「E」と「S」が取り残されたのか? 企業の責任が株式の利益、売上だけであれば、「E」と「S」は企業が考えるものではなく、それは本来政府が考えるものだよねと。それを一旦傍に置いておきますという判断から「外部不経済」と見なされた結果であるわけです。政府や公益セクターの役割があるものの、実際に出来ることに限界があります。
一方、企業が経済活動を推し進めることにより、どんどんCO2を排出する、社会の格差を生むとなると、結果的に、自分の会社のためにならず、売上、利益の面においても、株主のためにもならないという思考の繋がりができてくる。だから、ESGが大切だよねという大義が成り立つわけです。 一方で、「外部不経済」そのものを価値であると捉え直す宇沢弘文氏のように、社会的共通資本の話からは、利益の追求の対象としてはならないものもあるよねという話になり、先生が仰っている「コモンズ」の概念に行き着きます。コモンズは所有者は無いけれども、みんなが使えるもの。だけど、日本のケースでは、いわゆる主体性のあるオーナーシップとは異なる気がしています。日本人の感覚では、自分、会社を意味する「私益」と比べた「公益」は別であると捉えられている。しかし例えばアメリカの場合は国家設立理念に、パブリックは、みんなの責任であり、みんなのための責任という主体性として捉えられている。日本では、公益は行政、政府の仕事でしょとなってしまいます。自分のことはちゃんとやるけど、公益は自分たちの責任ではないから、政府でやってくれという思考的ギャップが本質的にあるんじゃないでしょうか。
このプロジェクトにおける重要な議論は、企業も「外部不経済」と言われてきた、みんなが使っているコモンズにも責任を持ってやらないとならないよねということですよね? みんなが使っているからこそ、オーナーシップ、責任があるという概念があるよねと。例えば、みんなが使っている空気に対して、みんなのものだから綺麗にしましょうみたいな概念が入ってくる。
−「外部不経済」と言われてしまうことに対して、今、企業側も社会的責任と持続的発展の両立を目指すべきだという機運が世界経済においても醸成されるなかで、日本企業も主体的に変わらないとならない流れがあると捉えています。既にそのような取り組みをしている企業も多々あると思います。 今回は、京都市と企業が外部不経済というところを「コモンズ」として、市民と共に取り組んでいくこと。企業にとっては、成長の動きだけではなく「公益」について行政、市民と共に考えていくのかとても重要なのではないかと考えています。これらを総称すると「三方よし」という表現がいいのかもしれませんが。企業がこのような取り組みをすることによって、グローバルマーケット側からの評価を受けられるようになれば、『公共私による価値の創造』という動きが京都という都市の中にもっと生まれてくるのではないか、市民・行政・企業の連携が生まれてくる可能性をより多様に見出せないかという議論を進めています。
渋澤:「三方よし」は商人からみた言葉、考え方であって、売り手から見た、買い手よし、世間よしという話になってしまいますね。官民連携PPP(Public Private Partnership)はいろんな取り組みが昔から色々ありますが、うまく進まないことも結構あります。それには官と民の『共通言語』が欠けているからではないでしょうか。企業が何か取り組む時には企業として何かメリットがある。メリットで一番わかりやすいのは、売上、利益です。目の前だけではなく将来の売上利益かもしれませんがメリットがあり、そういう考え方で取り組むわけです。
一方、政府の視点だと、予算を組む時には、「よいしょ」という意気込みが入り、予算を確保していただくが、確保されたあとは期限内に使い切って事業がうまく回ることを前提にしていると思うんですね。一つは「使い切る」ことであって、使い過ぎてもいけないし、ピッタリ収支が一致して使い切ること自体が良しとされている世界です。そうしなければ、翌年度の予算がもらえなくなるので使い切る。
民間側の企業活動とは、お金が残るように限りある中で最小限のコストを掛けて、きちんと価値をアウトプットすること。前提として、お金の考え方、予算の考え方そのものに、民と官の間に“ズレ”が生じます。政府側も一概に会計上の単年度予算だけで判断しているわけではないことは理解していますが、これが日常の実態だと思います。民は連携を組むことでより利益が上がればいいことですが、政府側からは利益がそんなに上がってしまうと困るということもある。そんなに利益が上がるなら民間側だけでやればよかったと、官は必要なかったとなるという思考展開です。一方、あまり儲からなくても良いというプロジェクトには民が入りづらいですし、儲からないのであればなるべく費用をかけない、手を抜くというという動機付けになります。
ですから、「インパクト」という共通言語の存在が官民連携に重要だと思います。課題解決を意図しているスタートアップへの新たな資金が流れることを促すために2008年に米ロックフェラー財団が造語したのが「インパクト投資」です。政府も民間でも「インパクト」という課題解決の共通言語の存在があれば、官民連携の運び方や成果にもっと期待できるのではないでしょうか。地域企業と連携して、地元の税金として戻ってくる。そこまでのまさに「成長と分配の好循環」が見えるのであれば、良いかもしれません。
−渋澤さんが仰ったことは、先日企業側からも同様の質問が行政側へあり、企業から見ると行政の取り組みがすぐ終わってしまう印象があると。そこには、両者の時間軸や前提の捉え方の違いがあるかもしれませんね。
渋澤:PPPのような取り組みに役割がないわけではなく、例えば民間だけだったらリスクが高すぎるので難しい判断になる場合に官が入り、最初に生じる損失を官の予算で負担しますという組み合わせが実現できれば様々プロジェクトの可能性が広まるでしょうね。インパクト投資の世界では、ファーストロス、コンセッション・ファイナンス、あるいは、カタリティック(触媒的)キャピタル*等、色々な言い方があります。要は民間だけだと儲からない場合は官がまずリスク負担しますという関係性です。損出/損益は言葉としては官はいただけないかもしれませんが、社会における課題解決の予算として使うということが前提になっているのであれば、プロジェクト運営費として整理して、双方がウィンウィンになります。ただ、気をつけてやらないと、A社にはやっているけどB社にはやっていないという不平等であると言われたり、なんでその業界だけなんだとか、文化にはやってくれるけど、食にはやってくれないだということが起こりそうなのです。重要なことは前例が無いことを恐れず、実行して突っぱねるリーダーシップです。
*Catalytic Capital:インパクトを生み出すために企業に譲歩的な条件で資金を提供し、他の方法では不可能な第三者からの追加投資を可能にする触媒的資本
−ファイナンスの領域では、民間と行政がもう少し長期的な目線で公益を捉え、財務的価値、非財務的価値も生み出していく考え方があるということですね。結果、企業側の収益性が高まることで税収も上がって、いいスパイラルが生まれれば価値にも繋がっていくことであると。
渋澤:そうですね。“パブリックセクター”として政府が取り組み、ある一定の領域内の活動が増えることでそこで税収入が増える、活動の中で売上があがる。一方で、経済の文脈だけで考えると「外部不経済」を無視することが利益向上へつながり、税収入が増加する可能性があるかもしれません。それでは結果的に、「E」も「S」も税金を財源としなければ支えないといけないというスパイラルに陥るか、現状の日本では未来世代から借金をして、未来の成長を前借りしている状況にあるということを忘れてはならないですよね。
−例えば、先日の議論でも滋賀県庁 琵琶湖保全・再生に関する政策の御担当者にお越しいただき、琵琶湖の改善を軸に民官の連携を時間を掛けてやってきた事例をお話いただきました。市民、企業、行政が10年以上の時間を丁寧に掛けながら共に独自の指標を作ったり、琵琶湖の改善等にあたっています。そのように連携がうまく行っているような地域も既に出てきているようです。また、今すぐの成果、評価ではないということも、琵琶湖保全のケースにおいても大事なポイントだったと理解しています。
(3)企業文化という価値をどのように市場に伝えるか?
−企業の「見えない価値(非財務の価値)」のうち、この都市、地域の文化や歴史や風土があるからこそ、この企業が生まれた、それらがコアコンピタンスとしての独自の価値にもなっている、だからこそこのような創造性の高い人財が育っている、企業としても繁栄してきたということを「企業文化」という価値としてマーケットに対して伝えていくことは、現状のマーケットにおいて、投資家にとってどの程度 “価値” だと捉えられるのでしょうか。つまり、企業の文化と都市の文化、今回で言うと、京都の文化と京都の産業としての文化が根底では非常につながっているのではないかと考えています。このような考えをマーケット側に伝えたときのインパクトや共感をどの程度得ることができるのか、ぜひ渋澤さんの見解をお聞かせください。
渋澤:例えば、福岡とか神戸とか横浜になどに存在している上場の企業の総売上額を人口で割った時には、感覚的には東京よりも京都は高い気がするんですよね。どうなんでしょう。今度、調べてみてください。京都には地方都市で人口はそれほど多くないのに、多くのグローバル競争力ある企業をつくれた土壌があることは価値として言えそうですよね。
それから、もしかしたら、企業側とも議論を深めた方が良さそうですね。以前、京都のとある企業の方からお聞きしたお話ですが、大阪の企業と京都の企業は違うと。大阪は東京に本社機能を持っていってしまうという発言があり、これは、なぜなんだろうと。この点が重要ですよね。大阪の企業は東京に本社を移し、京都企業はそのケースがなぜないのか? そこには、おそらく京都の文化があるからという話につながる。京都企業は京都に愛着があるから、絶対にここから離れないということなのか。そういう議論をすることに意味があるんではないかと思います。
京都市総合企画局森岡環さん(以下、森岡):一つ、渋澤さんに伺いたいのですが。Round Table Discussion_1の議論でも出ていましたが、SDGsは課題でしかなく、文化はポジティブなものと広井先生からお話があったと思います。改めて、「外部不経済」の話については、企業活動の中にどのように内在化をしていくのかという話であり、例えば、企業がマーケットに提示する統合報告書において活動として取り組んでいることを明示し訴求することだと理解することが本インタビューを通じて、改めて理解することができました。そのような意味からしますと、今回のプロジェクトにおける文化の話は「外部不経済」のケースとは違うのではないか? と。
文化は過去から持続的に供給されているものでもあり、特定の企業にしか帰属しない知的財産とは違って共有されている。環境問題や社会課題に対する解決は、今後、企業経営の中の議論やマーケット側での評価が進んでくるものと思いますが、一方で、文化という価値創造に対する企業のアプローチが市場での評価対象になりうるのか。文化は、そもそもが、マイナスを0にするのではなく、0→1という「正の外部効果」として捉えるものだとすれば、それを評価するには、環境問題等とは全然違う観点が必要なのか。あるいは、分けて考える必要もないのか。その辺りの示唆をいただきたいのですが。
渋澤:「外部不経済」は経済活動を主体としている企業側から見た概念だと思うんですね。それを京都市の場合は、「外部不経済」ではなく、環境課題、社会課題と言ってもいいと思う。解決するのに予算化するのかという話があると思います。
森岡:例えば、京都の地域の企業が文化に取り組む、そういった企業が市場でも評価されるようになることで、社会の文化振興や文化創造の流れに繋がっていくのではないかと。企業側にとっては、それは企業の評価につながる非財務的な情報として明示することができるのではないかという観点からお聞きしたいのですが。
渋澤:そのような意味では、それを評価する株主が必要、投資家が必要になりますね。地元の文化のために文化活動を支援していることに対して、そこに暮らす市民が会社の株主ならいいけど、それならポジティブな好循環になると思います。でも、現実的には、企業の所有者は京都企業とはいえど、京都に暮らしているわけではない人もたくさんいる。投資家も同様です。基本的に株主は自分たちのため、株主のために頑張ってよと言いがちです。そういう株主に対して企業は答えないとならない。
でも、やはり、企業が法人格として主体性を持たないとダメですね。「こころ」が冷たい株主がいても、それに対して、京都企業だからと言えるか。言えないか。そこが重要になってくると思います。
森岡:今のようなお話ですと、今後は、企業側、市場側への両面へアプローチをしていかないと、着地点が見つからないのかもしれない。
渋澤:非常に面白い問いですね。例えば、地域ということであれば地元の信用金庫もいらっしゃいますが、現在の企業経営には、株主資本があることが大きい。地銀が貸し出ししているケースも多いのかもしれないが、株主は京都だけではないということが前提としてある。それをどのように京都に暮らしていない株主にどう理解してもらうのか? 企業は言い続けるしかないですね。我々の存在、価値創造のために大切な活動なんですと。言い切るしかないと思います。
−自社の存在意義に結びつけながら、企業が主体性を持って伝えるのであれば、それを評価する株主もいるのではないかということでしょうか。
渋澤:そういう株主もいると思いますし、一方で、我々が株主であり、したがって我々の会社なんだと主張する株主も多い。だからこそ、企業側は主体性を持って、こういう会社なんですと自ら伝え続けることに意義があるということですね。
−マーケットから評価を受けなくてはという受け身である必要はなく、つまりは、企業は自らの意思を法人格という主体性を持って「私はこうである」と示すことが、グローバルマーケットにおいても重要であるということ。また、都市においても、「私たちは文化を起点とした創造的都市を目指していく」という明確な意思、ビジョンを示しながら、同時に、マーケット側との新たな価値創造の起点となる “インターフェース” を構築していくことが、京都の新たな可能性を生み出していくかもしれませんね。本日は大変ありがとうございました。
京都市の「カルチャープレナーの創造活動促進事業」*にて採択され実施したプロジェクトの活動報告レポートより抜粋。本レポートは、京都市が目指す「文化と経済の好循環を創出する都市」をテーマに都市構造を読み解き、京都という都市が持続的に発展し続けるための構想を提案しています。
*令和5年度カルチャープレナーの創造活動促進事業〜カルチャープレナー等の交流・コミュニティ創出
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1. 森から京都を観る
この地に暮らし、生きる人々が誇りを持って築き上げられてきた、京都の文化。その背景には、自然、風土、歴史との結びつきがある。特に森と京都の文化の結びつきは大変深く、そこには連綿と続く物語がある。京都という都市の在り方とは何か?その価値の真髄には何があるのか?ここでは、森から京都を観ることで、都市独自のコンテクストを読み解いていきたい。
2. 都市と文化
この地に暮らし、生きる人々が誇りを持って築き上げられてきた、京都の文化。その背景には、自然、風土、歴史との結びつきがある。特に森と京都の文化の結びつきは大変深く、そこには連綿と続く物語がある。京都という都市の在り方とは何か?その価値の真髄には何があるのか?ここでは、森から京都を観ることで、都市独自のコンテクストを読み解いていきたい。
3. 都市と水
この地に暮らし、生きる人々が誇りを持って築き上げられてきた、京都の文化。その背景には、自然、風土、歴史との結びつきがある。特に森と京都の文化の結びつきは大変深く、そこには連綿と続く物語がある。京都という都市の在り方とは何か?その価値の真髄には何があるのか?ここでは、森から京都を観ることで、都市独自のコンテクストを読み解いていきたい。